フランス2年間のグランゼコール準備級通称プレパ飛び込む勇気2

フランス教育

グランゼコール準備級 前回の続き

  1. グランゼコール準備級に入るには
  2. グランゼコール準備級での生活
  3. 私が薦める理由

グランゼコール準備級通称プレパに入るには

このプレパに入るには一つしか方法がない
高校3年生の3月までに進路希望届を出すプラットフォーム
parcoursupに志願するだけだ

5月の終わりから合否が出る
つまり六月にバカロレアがあるから
3月までの内申点で合否が決められる

志願者が多い有名な所だど10%未満の合格率だが
地方だとさほど競争率はない
私にとってはアルゴリズムによる公平な選別だと思う
むしろフランス教育システムの中で一番公平な場だと思う

高校の内申点といっても
テストの点数ではなく順位が重要で
高校自体のレベルにさほど左右されない

選別にはもちろん高校での選択科目の評価が大事だが
それだけではなく、学校によっては
総合の平均点、理系科目の内申点が良いからといって理系プレパに志願しても
哲学やフランス語が悪いと通らないとこもある
地方のプレパでは同じ評価でもその地方の人が優先されたりする

また高校で数学物理クラスにいたが、高2までのフランス語が抜群に良くて
トップの文系プレパに合格した子も知っている

勉強以外の評価も重要視しているところもあるようだ
教師の評価や欠席日数
音楽スポーツでとった賞や語学の資格
また動機目的書も書くが、全く見ないと宣言しているところもあれば
とても参考にするというところもある

評価に値するものは志願書とともに全て提出する

私の子供は三人それぞれ違う学科の違う学校へ行ったし
その友達や周りの人から聞いた
私の勝手な統計と公に出ている情報で、当然真相はわからない

一部私立では別の選び方があったり
有名なところは最終選別は人間が関わるが
少なくともレベルの合わない生徒がコネや賄賂で入れる場所ではない
何よりもその後ついていけない

その後プレパから違うクラスのプレパへ編入できたり
プレパから大学など他の進路に行けるが
また2年生で進路変更する人の枠が空くので、別の学校から移動もできるが
プレパ生しか入れない

2年間のプレパに他から入ることは絶対できない

プレパでの生活

プレパはだいたい高校の中に併設されており
週5授業で学校によっては土曜日の朝テストがあったりする
朝8事から授業が始まり週60時間授業がある
学校にもよるが週に1度体育があり
趣味(音楽、スポーツ、ダンス、、)の時間もある

ここからである
授業が終わった後、夜10時頃まで勉強する
もちろん理解力が速いともっと早く終われるだろう
しかし習うことが限りなくある

ここで自力、忍耐力、体力、精神力がいる
限りないことを自分で計画立てて次の日のために切り上げ
寝ないと身体がもたない
多くのプレパ生は寮か学生アパートかひとり暮らしだ

一度授業を休むとスピードの速い授業を取り返すことは難しい
しかも一日中椅子に座っている

他の友達は新学期新入生歓迎で飲みに行ったりその後サークルやバイトで
やっと勉強から一息できる時だ
ここが一番辛いかもしれない、精神力がいる

ただほとんどの時間クラスの仲間と過ごす
共に戦う同士である
支え合う仲間と出会える

一部のプレパでは競争心剥き出しで張り合っていると言われているが
正直それでは2年がもたない
その精神でうまく行った人がいるのか疑問だ

私の子供が行った学校も入る前はいろいろ噂があった
上記のようなことや、教師群の批判
実際行ってみると全く違い、子供達はむしろ高校より評価していた

私にとってプレパとは

実はグランゼコール自体は、入学希望者以上に席がある

プレパを終了してグランゼコールへ入って来たのは60%なのだ
一部の私立ではバカロレアを合格していない人も入れる
レベルの高い公立のグランゼコールでも
大学(université)や短大(bts、iut、、)
などから編入もできる
正直お金を積めば入れるところもある

私の中ではプレパの後グランゼコールに入ろうが、進路を変えようが
好きなことをすればいいと思っている

ではなぜそこまでしてプレパに入るのか

おそらく人生で初めての自分との戦いができ
そこで初めて自分でどうすればうまく行くか、乗り越えられるか
ということに一人で向き合う、精神面で自立できる場だと思うからだ

天才の域でもエリートの域でもない
ただ入る勇気、そこで頑張る意志と根性だ

先ほども言ったが、他の同年代が遊んでいるのを横目に耐えられるか
高校までそこそこの成績を取ってきた人は尚更
自信喪失するかもしれないし、ストレスが大きく
精神面でやられる

しかしこれを乗り越えた先にあるものは本当に大きい
学歴の話ではない

私はプレパの二年間全面的に子供達を支えてきた
と言いても週末の飯炊、洗濯ぐらいしかできず

何か言いたい時もあるが、
後を振り返ると私がわかったような事を言う必要はなかった
それぞれが自分で考えて、ただクラスについて行けるように
頑張っていた

 

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